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菊水[菊水酒造]

菊水[菊水酒造]

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菊水酒造(菊水)について

菊水酒造の脇を流れる加治川創業は明治14年(1881年)。新潟県新発田市は慶長三年、織田信長・豊臣秀吉両武将の臣下に仕えた溝口秀勝候が加賀大聖寺より新発田初代藩主として入封した歴史をもつ城下町に菊水酒造は蔵を構えます。代々の溝口候は、領内の治水事業、新田開拓、産業開発、領民の教育制度開発整備等にも力を入れ、今日の発展の礎を築きました。菊水酒造は、この歴史を刻んできた加治川を望むほど近くに蔵を構えます。

近世初期までの加治川は1本の川ではなく、現在の新発田市内で数条に分かれ、福島潟や阿賀野川に流水し、洪水をくり返していました。そこで藩は治水事業に着手し、今日の加治川を本流とする流路に変え、用水路を整備し沿岸の治水開発にも役立てました。その後も溝口藩政のもとで加治川治水・利水、新田開発事業が継続され、多くの瀬替えや分水路建設が行われたのです。新田開発の結果、日本を代表する大地主が数多く生まれ、それらの地主の多くは副業として酒造りや味噌醤油の製造にも携わってきました。

菊水酒造新発田市の南北に開ける北越後平野は、実りの季節には黄金色の稲穂が一面を埋め尽くし、良質の米がたくさん収穫されます。加治川周辺には豊富な地下水脈があり、飯豊連峰の雪解け水を含む清冽な伏流水とあいまって、酒造りに絶好の環境となっています。菊水酒造 酒タンク

「菊水初代・高澤節五郎は弱冠16歳で本家より酒の製造権を譲り受け、酒屋を興しました。これが菊水酒造の始まりです。節五郎は、せっかく醸した酒が腐るなど数々の失敗を経験をするも、持ち前のチャレンジ精神と忍耐強い気質で切り抜け、試行錯誤の末、安定的に酒を醸造できる基盤を固めました。

明治三八年(1905年)、蔵を引き継いだ二代目・俊太郎は、新しい技法、設備を積極的に取り入れ千石酒屋にまで発展させました。

菊水酒造の職人三代目・徳二郎は、商品販売強化に努めるとともに、当時、需要の多かった焼酎の製造販売にも着手し、蔵の発展に寄与。しかしながら42歳の若さで夭折、その後は妻チヨに託すことになります。昭和十六年(1941年)のことです。チヨは、事実上の三代目として奮闘。戦前から戦後の統制経済の中を女手一つで切り盛りし、低迷した製造数量を回復させるなど正に八面六臂の活躍をします。昭和二十九年(1954年)に長男・英介が大学から戻ったのを期に、蔵の経営を受け渡します。

四代目・英介は、蔵を襲った数度の災害にも萎えず、蔵の近代化に取り組み、画期的な新商品群を投入。これが市場から大きな支持を獲得し、国内でも有数な蔵へと飛躍、成長することになりました。平成十三年(2001年)四月、蔵の経営は五代目・大介に渡され現在に至っております。

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