朝日商事㈱ 5月1日号―さかばやし―より
呑兵衛さんの気持ちは今も昔も変わりなく・・・
~酒暦 今昔探訪~
行楽の季節。行く先々で酒蔵やお酒の資料館に立ち寄られる方もいらっしゃるかと思います。そんな場所に必ずといっていいほどその姿を現す『源蔵徳利』。何やら猛々しい文字を胴に描き、首には編みひもを巻きつけて・・・。でもその名前の由来を皆さんご存知でしょうか?源蔵徳利のひみつをご紹介します。

赤穂浪士物語の名場面にその由来が・・・
赤穂四十七士の一人 赤埴源蔵(あかばね げんぞう)がその由来の主人公。
彼は赤穂浪士の中でも堀部安兵衛などとともに急進的な仇討ち派として知られています。そして大の酒豪でもあり、いつもあの徳利を持ち歩いているのだとか。
吉良邸への討ち入りがいよいよ間近に迫った雪の夜、源蔵は兄の家にひょっこり姿を現わします。あいにく兄は留守にしているとの事。すると源蔵は兄の羽織を出させ、衣紋掛けに通して柱に掛け、持参の徳利からお酒を湯呑み茶碗に注ぎ込み、居住まいを正して両手をつき『遠方へ赴くことになりました。来年の盆に帰って来る時にはまた酒を載きたい。』と暗に決死をほのめかせた言葉を残して立ち去るのであります。
明くる朝、兄は赤穂浪士の討ち入りの知らせを受け、源蔵の所在を確認すると、昨日の留守中の話の意味を理解し、源蔵が残した徳利の前に両手をついて『源蔵、昨日は残念であった。』と語りかけたのでありました。
その話が兄の主君に伝わると、主君は非常に感銘を受けて兄の領地を加増してやり、残った徳利は主君の家宝として取り扱われ、その徳利は世間の評判になったのでありました。
以来、あのずん胴な徳利は『源蔵徳利』と呼ばれるようになり、今もその名残りが続いているのだそうです。言わば、赤埴源蔵は徳利をピーアールするためのキャラクター的な存在として、また、赤穂浪士の1人でもあることから人気者のイメージと合わさって、源蔵徳利の名が世に広まったとされるわけです。
ただし!史実の赤埴源蔵はほとんど酒を呑まなかったようで、先述の話も、後の世に創作されたものという可能性が高いとの事ですが、『源蔵徳利』というその名の響きとあの姿・・・、いかにもお似合いということで、野暮な事は言わない方が良いのかもしれませんね。

店内にもいくつかの源蔵徳利を飾っています。
由来は今回初めて知りました。