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2009年10月 アーカイブ

2009年10月27日

「大里峠」で22年ぶりに発見っ!!

10月18日(日)

「大里峠」は山形県小国町と新潟県関川村の県境にある標高487mの峠です。
その大里峠を越える「大里峠越え交流会」に参加してきました。
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以前は、小国側から小国町民が登り、関川側から関川村民が登り、頂上で合流し交流するという形だったそうですが、今回は約50名の参加者全員が小国側へ集合してから頂上を目指し峠を越えました。
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頂上には祠があり、そこで折り鶴と木札の奉納をしました。
その祠の管理を先祖代々任されている佐藤さんも一緒に参加をしていてお話を聞かせて頂いたのですが、祠の中には“大里峠の大蛇伝説”となった石碑もあり、その石碑は約200kgほどの重さがあるそうですが佐藤さんのご先祖の方がたった二人で担いで持ってきたそうです。

この方が佐藤さんです
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この石が佐藤さんのご先祖様が担いできた200キロもある石
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大里峠大蛇伝説は関川村で毎年夏に行われる「大したもん蛇まつり」の由来となった村に伝わる伝説です。

-大里峠大蛇伝説-
(前編)
昔関郷の蛇喰村に、炭焼きの「忠蔵」と妻「おりの」その子「なみ」が住んでおりました。
忠蔵は毎日阿古谷という所へ炭焼きに行っている忠蔵が昼寝をしていると、大蛇が出てきて襲われました。その大蛇を退治し、家に持ち帰り味噌漬けにしました。
忠蔵は妻に、見てはならぬ、食べてはならぬと約束したのに、おりのはこの約束を破り、食べてしまいました。たまらなく喉が渇きだし、女川を飲み干し、荒川にいってしまいました。
(後編)
幾年か経ったある日、越後街道を大里峠に向かっている、旅の僧座頭蔵の市がありました。
疲れた蔵の市が大里峠に一服していると、大蛇が娘に化身し現われ、座頭に関谷郷を湖にし、自分の住処にすることをきかせ、この事を口外すると座頭の命はないことを告げると、姿を消してしまいました。
これを聞い座頭は、例え自分の命が無くなっても関郷の住民を救わなければと、下関の庄屋にこのことを告げ、息をひきとってしまいました。
大蛇は村人に退治され、関郷の住民は救われました。
関郷の住民は、座頭の命の恩人と崇め、大蔵神社を建立し守り神として、今日に至っています。

蛇崩(じゃくずれ)・・・
「関川村八ツ口」 大里峠大蛇伝説に、その昔、大里峠に住み着いた大蛇が、退治されるためうたれた、鉄の杭に苦しみ、三日三晩暴れたとき崩れたという、伝説の舞台である。


私の今回の「大里峠越え」の最大の目的である、あるモノを探しに行ってきたのですがそれを22年ぶりに見つけることができました。
それは、、、
私が7歳の頃、現在の関川村の村長さんである平田大六さんと一緒に大里峠を登りに行った時に、木にナタで「佐藤真智子 七才」と掘ってくれたブナの木を探しに行くことでした。
登りも越え、雨も強くなり、降りも終盤にさしかかり、諦め半分探し探し、振り返りながら木を見ていたところ…
なんと、それが奇跡的に発見されました!!
ハッキリ分かり、感動しました。

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平田大六村長と一緒に
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22年前の自分にまた出会えることなんてそうそうまずないですよね。
7歳の頃はどんな人生をこれから向かえるのか、また現在はどんな人生を歩んできたのか、このブナの木はどっしりとゆっくりと見守っていてくれた気がします。
子供ながらに鮮明にそのときの記憶が残っており、そういう様な経験はとても大切な気がします。子供の感性を大きくすることに影響を与えると感じました。なので形は違えどタイムカプセルや作った作品を残すなど、何らかの形で思い出とその経験を残しておくということはとっても大切なことと感じたので、自分の子供が出来た日にはぜひそのような経験をさせてあげたいと強く思いました。


大里峠を越えた歴史上の人物
*イザベラ・バード
 イザベラ・バードはイギリス人。明治11年(1878年)47歳のとき来日し、7月に米沢街道を通っています。イザベラ・バードは旅行の先々で、見聞したことをイギリスにいる妹や友人に手紙を送っていました。それをまとめたのが「日本奥地紀行」という本です。
「奥地紀行」の一部を紹介します。
その日、私たちは、人力車に乗って関を通り川口に旅をした。・・・
川口という村に着いて、これ以上人力車では進めないとわかった。しかし、馬は一頭しか手に入らなかったので、土砂降りの中を最後の宿駅まで歩いてゆかなければならなかった。雨から身を守るのに、紙製の防水マントだけという貧弱な服装であった。・・・
私はその夜とぼとぼ沼という部落に入った。24軒の家に307人も住んでいた。・・・
馬の沓は数分毎に結んでも、また解けてしまい、1時間にちょうど1マイルしか進めなかった。ついに私たちは玉川というところに着いた。私のため荷鞍をつけた乗用馬として、一頭のまるまると肥ったかわいらしい牝牛が提供された。この牛が私を乗せて、すばらしい大里峠(?)を無事に越え、小国の町へおりて行った。

*良寛
越後が生んだ著名人・良寛も米沢街道を通ったのではないか、という説が近年発表された。
それは、良寛が詠んだ漢詩である。
[読み下し文]
玉川駅に宿す
風雨凄々 秋蘭に属す
遊子心にかかる 行路難
永夜いくたびか 驚く枕上の夢
江声錯 雨声の看をなす

[訳]
秋たけて 何処の眺めも さむざむとしはじめる
旅を続ける気がかりごとは 途上いろいろな困難なこと
秋の夜長にいく度も眠りの夢が破られては
その都度集うに今宵やどる玉川べりの 川水のせせらぎの音のそれのみを 雨の音かと聞き誤っている侘しさよ

*伊達政宗
ある小説から、独眼流で有名な伊達政宗が米沢街道を通っていることが分かりました。秀吉の小田原城攻めの際、いわゆる小田原参陣のときに通ったのです。

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