関川村には「天地人」の上杉家と関係の深い出来事がありました。
こちらを紹介します。
①せきかわ歴史と道の館(資料館) 関川村下関1311
②渡邉邸 国指定重要文化財 関川村下関904
③垂水城主(たるみ) 関川村湯沢
④上関城主(かみせき) 関川村上関
「川中島の戦い」
垂水源次郎が上杉謙信より授与された「血染の感状」が展示されています。
永禄4年(1561年)、関川村湯沢の垂水(たるみ)城主③垂水源次郎は、上杉謙信に従って、第4次川中島の戦いで勇戦、武勲をたてて「血染の感状」を授与されました。
「新発田城攻めに参戦」
上関④城主三潴氏の子孫の三潴佐左衛門は、天正10年(1582年)新発田城攻めに参加して、上杉景勝より感状を授与された。
「御館の乱」
天正6年(1578年)3月13日、上杉謙信が49歳の生涯を閉じると、養子の景勝と景虎が家督相続をめぐって争った。これが御館の乱である。
③垂水源次郎の子、源太左衛門と右近丞は景虎方にくみして戦死。2人は景虎より感状を授与された。
「渡邉三左衛門から上杉家への金融」
3代三左衛門は享保5年(1720年)米沢藩に750両を融資、同年75両の利息が支払われたことが米沢藩の記録にある。これが米沢藩への金融のはじまりである。
4代三左衛門は17年間で2万7000両を融資した。幕末までに渡邉家が融資した総額は10万両に達した。
上杉鷹山渡邉家が大金を用立ててくれた功を賞し、5代三左衛門に250石の秩禄を与え勘定頭格に任じた。
また7代三左衛門善映は天保6年(1786年)に450石の秩禄が与えられた。
渡邉家には、7代三左衛門が上杉鷹山公より拝領した弓矢と鷹山公直筆の書幅がある。
※①せきかわ歴史と道の館にて展示されています
垂水源次郎が上杉謙信より授与された「血染の感状」
三潴佐左衛門が景勝より授与された感状
三潴佐左衛門に宛てた景勝の書状
垂水源太左衛門が景虎より授与された感状
垂水右近丞が景虎より授与された感状
上杉鷹山より拝領の弓矢
渡邉家伝来の鎧兜
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