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「せきかわ 歴史とみちの館」にて関川村の歴史に触れてきました!

関川村は日本海側と内陸とを結ぶ交通の要衝にあたり、先史時代より荒川沿いに道ができ発達してきました。この道を通って石器や土器の製作法が伝わり、仏教、稲作が伝ぱしました。また、時代時代の権力争いの中で軍隊が行き来したのもこの道です。
道は人と物を運び、文化を伝えます。その交流の長い歴史の中で関川村の今があります。

-先史時代-
川と山の幸に恵まれた地形に位置する関川村に旧石器時代から人が生活したことは多くの遺跡、遺物が語っています。紀元前の1万数千年の間ここに生きた人々は緩やかな発展を遂げました。
土版などが残されています。

-古代~中世-
稲作が始まった弥生時代から現在までの2千数百年の間に日本はめまぐるしく変化し発展してきました。権力争いや文物の流通によって変化する社会に道は不可欠な要素でした。
棟札が残されています。

川中島の合戦の功により地元の武将垂水源次郎が上杉謙信から拝領した感状は、川中島の歴史的事実を立証する貴重な資料です。

農耕と戦に欠かせなかった鉄は重要な資源でした。関川村にも鉄を作った蹈鞴(たたら)の遺跡があり、羽口が見つかっています。

-民話の中の鉄-
関川村に伝わる伝説「大里峠大蛇由来」は洪水と樹木の伐採、そして鉄との関係を隠喩した物語になっています。

-関鉄之介の業績-
日本史上唯一時代を好転させたテロリズムと評価される桜田門外の変、その現場指揮官関鉄之介は諸国逃亡の末、当地湯沢で捕縛されました。入沢達吉の顕彰碑が高瀬に建っています。
関鉄之介の書が残されています。

-宗教と暮らし-
先史時代から今日まで、人びとの生活と宗教は深く結びついてきました。精神の支えとなる宗教は個人や集団の原動力となり、国家をも動かす重要な社会的要素として生活に根付いてきました。
光兎神社彫刻や高札が残されています。


せきかわ歴史とみちの館
[住所]新潟県岩船郡関川村大字下関1311
[TEL]0254-64-1288
[開館時間]9:00~16:30
[休館日]月曜日(月曜祝日の場合は翌火曜日)、年末年始
[入館料]一般(大学生以上)300円、団体250円
    小中学生150円、団体100円
                              

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2009年09月11日 17:09に投稿されたエントリーのページです。

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