そしてお次は鎖国時代、西洋に開かれた唯一の窓口として、日本の近代化に大きな役割を果たした「出島」です。
現在では出島復元整備事業が進んでいて19世紀初頭の出島が楽しめます。
またその経緯や、当時の暮らしぶりも学べて、ゆっくりと色んな話を聞いたり知りたい所でした。
「出島」は学校で習う歴史の教科書上では鎖国の時代に唯一貿易を許されていた所ということは知っていましたが、改めてその経緯や国際交流など色々知ると鎖国の時代にこのような場所があっただなんてなんとも不思議でタイムスリップしてこっそり出島を覗いて見たいと思いました。でもタイムスリップできるような数々の復元された建物10棟があり一つ一つ中に入って見学できるので面白いですよ。「日蘭貿易」と「出島での生活」をテーマに、当時の代表的な輸出入品の紹介や商館員の暮らしぶりを再現しています。
当時の出島も現在の復元もさほど広い場所ではありませんが、興味がある方は1~2時間は気がつけばあっという間に過ごせる場所です。
ゆっくり時間をとってカピタン部屋(オランダ商館長カピタンの事務所や住居として使用されていた出島で最も大きな建物)にいる丁寧に当時の説明をしてくれるおじさんのお話を聞くのがおすすめです。
私はちょっと時間が足りなくてあまりおじさんの説明が聞けなかったのが心残りです。
出島の復元場所に置いてあった大砲管
出島の誕生・・・
1636年、江戸幕府はポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止するために、長崎の有力な町人に命じて約1万5千平方メートルの人工の島を築き、そこにポルトガル人を収容しました。この人工の島が「出島」です。
1639年、鎖国令によってポルトガル船の来航が禁止され、出島は一時、無人の島となりましたが、1641年、平戸のオランダ商館が出島に移転。それ以来、1859年までの218年もの間、出島は西洋に開かれたわが国唯一の窓口として、日本の近代化に大きな役割を果たしました。
貿易の拠点としての出島・・・
出島は、貿易の拠点であり、貿易にたずさわる商館員たちの住まいもありました。貿易施設と居住施設が共存し、商館員や日本人の自由な出入りは禁止されていました。世界に開かれた出島は、一方では閉ざされた空間でもありました。
国際交流の舞台としての出島・・・
出島は、鎖国時代、日本がさまざまな海外文化や技術を採り入れた場所でした。それはオランダにとっても同様であり、ここを窓口に日本の文物や情報を集め、広く西洋に伝えていました。出島は、日本と西洋の国際交流のばとして役割を担っていたのです。
そして、長崎原爆資料館と平和記念公園です。
この痛ましい戦争の出来事を忘れるわけにはいきません。
なんともいえない気持ちになって、資料館を出た後は言葉が見つかりませんでした。
海外の若者の方も見学されていて、私たち日本人の視野からみた感じ方と海外の方が捉える感じ方はどのように違うのだろう、また同じなのだろう、という事が見学中ずっと気になりました。望む気持ちは同じであってほしいと。なにより国籍関係なくここに足を運んで本当に起こった真実の歴史を知ろうとすることがまずなにより大切なことですよね。
平和記念公園へ行ったときはそ天気がそれまでなんとか保たれていた雨が大降りになり、訪れていた修学旅行生もみんな雨がっぱを身につけて集合写真を撮影していました。
銅像の指の示すところは天と地、平和ということだそうです。天に示す「平和」です。
お昼は中華街で本場の「長崎ちゃんぽん」と「豚の角煮まん」を頂きました~。
美味しかった!
ちょうど旧正月の飾り付けの真っ最中で提灯がいっぱいで可愛かったです。
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